2009年9月27日、開通から20年を迎えたこの日、横浜ベイブリッジ・スカイウォークにて、当時のタイムカプセルを開けるイベントが行われました。
当時、タイムカプセルにメッセージカードを入れた子どもたちは35人でした。そのうち14人が出席し、壇上で横浜市道路局長から自分のカードを手渡されたとき、皆一様に顔をほころばせ、懐かしんでいました。
司会者からは、書かれている内容や当時の思い出などについて出席者に尋ねられました。出席者たちはベイブリッジや横浜について、それぞれの思いを語りました。「20年後はリニアモーターカーの時代になっているだろう」「道路が動いて誰でも乗って移動できるようになっているといいな」「地下に人が通れるトンネルができてほしい」「ごみの落ちてない道路にしてほしい」といった当時の希望について話し、笑顔が多く見られました。
横浜を離れて暮らしている人は「みなとみらい地区は大きく変わってきたが、横浜に来れば空気はいつも変わらないままだ」と話し、新しく家族を持った人は「20年後にも家族皆が健康でこうやってここに来られるといい」と語っていました。
昔のものを大事にしていく街であり続けてほしい
当時、インターナショナルスクールの生徒だったHIRYOON HONGさんは流暢な英語でロンドン橋の歌を歌い、ベイブリッジもこの歌のように人々に愛されるようになってほしいという当時のメッセージを読み上げました。私たちの取材に対して、「みなとみらいのように20年で大きく変わった街もある一方で、日本大通のように歴史的な建築を残している街もある。これからも昔のものを大事にしていく街であり続けてほしい」と答えてくださいました。
セレモニー終了後、壇上で家族や友人と記念撮影する出席者たちの姿がありました。ベイブリッジ開通の日にドライブに来たのは家族連れだったのでしょうか?そして、20年後の同じ日に同じ場所で家族と一緒に迎えられた皆さんの幸せそうな表情を見て、平和であることのありがたさを感じました。
ベイブリッジは市内の渋滞緩和のため
さて、ベイブリッジはコンテナ輸送による市内の渋滞緩和のために建設された道路です。これにより市内の交通の3割がこちらに流れ、現在では1日に約10万台の車がこの橋を利用し、20年間で総計6億台が通行したそうです。首都高速道路株式会社の担当者によれば、市内の渋滞が緩和されたことで、市内の環境が改善されたとのことです。さらに、生麦に環状道路が完成すれば、市内の渋滞はさらに解消され、環境はより良くなっていくと話しています。
確かに、筆者が1970年代後半に第一京浜を通学する際、信号待ちの間には常に大型のコンテナ車が目の前を横切っている光景がありました。しかし、気がつけば同じ交差点でも視界を遮るほどの大きな車は減ってきているという記憶があります。
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