「最近ネットは嘘が多いな」と感じることはありませんか。『嘘で満ちていく社会』は、そんなもやもやした感覚を、データで丁寧に裏付けてくれる本です。読むほどに「なるほど」と思い、同時に少し怖くもなりました。横浜市長選の開票が18日に迫る今、読んで考えたことを書いてみます。

「注目」が価値になった時代
社会の中心は、国家、経済を経て、いまは「情報」へと移った。ここでいう情報とは、注目・評価・拡散・影響力といった、人の認識や行動を動かす力そのものである。
閲覧数やいいね、拡散数という数字が影響力の指標になった結果、情報は「正しいか」ではなく「どれだけ反応を得られるか」 「注目を得るか」で評価されるようになった。
嘘は、ビジネスとして成り立ってしまう
その象徴が、2016年の米大統領選で話題になった北マケドニアの虚偽ニュース工場だ。当時10代だった若者たちが、フェイク情報で広告収入を得ていた。記事の真意は重要ではなく、怒りや好奇心を刺激してクリックされれば利益になる。再生回数が収益に直結するいまの仕組みでは、他人を攻撃する動画や逸脱した投稿が量産されやすい。嘘は、ビジネスとして成り立ってしまうのだ。
感情を揺さぶるものほど広がる
人は、冷静で慎重な説明よりも、怒り・恐怖・驚きをかき立てる言説に引き寄せられやすい。そこに生成AIが加わり、真偽を確かめる間もなく新しい情報が押し寄せる「情報過多」が生まれている。
SNSは、他人の生活や成功や怒りをほぼリアルタイムで見せつける装置でもある。比較の中で「自分は間違っているのではないか」と不安になり、冷静な判断力が弱まっていく。この指摘には、思い当たる人も多いのではないだろうか。
広がるはずの世界が狭まっていく
インターネットは、世界中の多様な情報を届けてくれるはずだった。ところが、アルゴリズムが過去の閲覧履歴や「いいね」をもとに情報を選ぶため、私たちは自分の好みや信念に沿った情報に囲まれていく。フィルターバブルやエコーチェンバーである。信じたい物語だけを選び、それ以外を切り捨てる。世界を広げる道具が、見たいものだけを囲い込む装置になっているのかもしれない。例えば、猫の動画を「いいね」し続けていると、いつの間にか毎日が猫の動画だけで埋め尽くされていくように。

選挙と民主主義への影響
特に衝撃だったのは選挙の話だ。2026年2月の衆院選では、YouTubeの選挙関連動画の総視聴数が28億回に達し、2024年の衆院選の約10倍になったという。視聴数の増加とともに、偽動画の比率も高まっている。
フェイク情報は、強く支持する層にはほとんど影響しない。しかし、やや支持する層やどちらともいえない層には効く。わずか数%の有権者が態度を変えるだけで当落が逆転しうることを考えると、民主主義の根幹に関わる問題だと感じた。
身近な選挙を前に ―― 横浜市長選
この話は、遠い国の出来事でも、国政選挙だけの話でもない。横浜市長選は、18日に開票を迎える。私たちが暮らす街の選挙である。
選挙期間中は、候補者の動画や切り抜き、真偽のわからない書き込みがSNSに流れてくる。国政選挙ほど注目されない分、確かめられないまま広まる情報もあるかもしれない。本書にあった、フェイク情報が効きやすいのは「やや支持する層」や「どちらともいえない層」だという指摘が、急に自分のこととして迫ってきた。
投票先を決めるときに、怒りや不安をかき立てる投稿だけを頼りにしていないか。「みんなに知らせなければ」とシェアする前に、元の情報や発信元を確かめただろうか。そんなことを、あらためて自分に問いかけている。ネットで見るイイネの数と新聞報道の開きを感じる。

85%が見抜けないという現実
筆者の研究では、15件のフェイク情報を適切に判断できた人はわずか15%だった。しかも年代による大きな差はない。「だまされやすいのは一部の人」ではなく、誰もがだまされうるということだ。
さらに、拡散経路として最も多いのは日常会話で、その多くは悪意ではなく善意によるものだという。家族や職場で「こんな話があったよ」と伝えること自体が、拡散になっている。自分も無関係ではいられないと、はっとさせられた。
日本は米国や韓国と比べて、情報を確かめる習慣が根づいていないという分析もある。情報を吟味するという、かつては当たり前だった習慣を、いま改めて取り戻す必要がある。
「本物と見分けがつかない」時代へ
著者は、いまを「withフェイク2.0時代」と呼ぶ。生成AIによって、本物と見分けがつかない映像・音声・文章が簡単に作れるようになった。ディープフェイクは「これは本当であってほしい」という気持ちにつけ込む。私たちはこれまで、映像や音声を「確かな証拠」と考えてきたが、「映像があるから間違いない」という常識は崩れつつある。
AIは人の反応を学習し、より自然で説得力のある言葉を生み出す。少額の資金でも世論を動かす発信を「外注」できる時代が来ていると思うと、便利さの裏側の怖さを感じる。ボットによって、あたかもその主張が多数に支持されているかのような錯覚(ソーシャルプルーフ効果)が作られ、実際の世論とは違う見え方が生まれることも指摘されている。
共感を演出できる者が最も強くなる社会では、異なる意見が排除され、対話の場が失われていく。民主主義の危機とは、AIに支配されることではなく、人が「考える苦しみ」を手放してしまうことなのかもしれない。この一文が、読後も心に残った。
では、どうすればいいのか
「ではどうするか」という点について、本書の記述はあまり具体的ではない。ただ、フェイク情報の問題は人間の欠陥をあぶりだす鏡であり、制度・技術・教育が同時に機能することが必要だと述べられている。
そのうえで、大人に求められるリテラシーとして示されるのが「一度立ち止まる習慣」である。誰もがシェアやリポストをしなければ、情報は広がらない。私たちの日常的な行動そのものが、情報空間の安全性を左右している。
「これは許せない」「みんなに知らせなければ」という感情が走ったときこそ、冷静な判断は難しくなる。だからこそ、拡散する前に一呼吸おく。ファクトチェックも有効な手段で、今月には『いちばんやさしい ファクトチェックの教本』も出版された。

おわりに~横浜市長選を前にした今
読み終えて強く思ったのは、フェイク情報は「だまされる誰か」の問題ではなく、善意で誰かに話してしまう私たち自身の問題だということだ。
横浜市長選を前にした今、この「一度立ち止まる習慣」を、ささやかでも実践したいと思う。感情や怒りにまかせて反応するのではなく、まず一度立ち止まる。その小さな習慣が、情報があふれる時代に自分と周りの人を守る、いちばん身近な方法なのだと思う。

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